Live Life Simple-ある暇人のつぶやき
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ちょっと早いけどクリスマスのトリビア
11月に入ったからそろそろクリスマスカードの準備を始めないとなあ。普段はあんまり手書きで手紙を書かないので年末ぐらいはまじめにやらないとね。今日は天気もよいし、ちょっと午後から買い物に出ようかとも思うけど、ちとめんどくさい気も・・・・きっとだからぷくみちゃんになって行くんだけどさ〜。まあこの時期太るのは仕方ない・・・。
さて、クリスマスというと私もわくわくしてくるんだけど、(旦那にツリーを買ってくれるようにもう頼んである。w)結構日本でも昔からクリスマスとは関係が深いんだよ。ということで、今回は、日本とクリスマスの関係トリビアです。
●戦国時代、キリシタンの武士達はクリスマス休戦をした。
永禄11年(1567年)、織田信長と松永久秀の陣営が堺の近くでいくさをしていたが、堺の教会にいたイエズス会司祭ルイス・フロリスが、クリスマスに両陣営のキリシタン武士約70名を招いて、教会向かいの民家の広間でクリスマスの祝いを行った。敵味方のキリシタン武士は、参会した信者と共に懺悔し、ミサを行った後互いに料理を持ち寄り、ご馳走を食べたと伝えられている。和気あいあいと過ごした後、クリスマスの翌日に再び戦いの地に戻っていった。アメリカにも似たような話がありますよね。
●日本で最初に発刊されたサンタクロースの名前は「三田九郎」。
明治31年(1897年)、進藤信義が日曜学校の子供向き教材として『さんたくろう』という本を教文館より刊行した。あらすじは「笠地蔵」のようなもので、サンタクロースが北国の老爺三田九郎と言う日本名で登場する。この本の扉絵には、ロバを従え、クリスマスツリーを持ったサンタクロースが描かれていた。
●俳句の季語で、外来語のカタカナ季語の第1号は「クリスマス」。
明治29年(1896年)正岡子規が句集『寒山落木』の中で、初めて外来語の季語を用いた。八人の 子供むつまじ クリスマス。その後も子規は、クリスマスを題材にした句を数多く発表している。
●日本はクリスマス用品生産国世界1位だった時期がある。
明治30年(1897年)、外国人居留地でクリスマスの飾りが多く使われる中、神戸在住の外国人が日本で昔から使用されていた経木がクリスマス・ツリーの代用品になると考え、イミテーションのクリスマスツリーの生産が本格的に始まり、輸出されたのが日本のクリスマス用品生産の始まり。その後、クリスマス用品の生産国として誇っていたドイツが第1次世界大戦で混乱している中、大正5年(1916年)に日本製クラッカーが発売開始。また、アメリカからの発注が本格化し、量産できるようになり、クリスマス用品は重要な輸出産業に発展していった。
●『君が代』のルーツは、賛美歌である。
明治15年(1882年)に出版された、『小学唱歌』に「君が代」が登場します。この唱歌として歌われた「君が代」は現在の「君が代」とは、曲も歌詞も全く違っていた。
古い「君が代」は、ルーサー・メーソン編集の『メーソン編賛美歌と歌曲 The Mason'Hymu and Tune Book 1880』の84番『WEBER』という、S・ウェーバーが作曲した曲が原曲とされている。但し、1881年にロンドンで発行された讃美歌集『The Belieuers Hymu Book』には、全く同じ歌がジェーン・クルードソン作詞、アイラ・サンキー作曲の曲として収録されているそうだ。
さて、クリスマスというと私もわくわくしてくるんだけど、(旦那にツリーを買ってくれるようにもう頼んである。w)結構日本でも昔からクリスマスとは関係が深いんだよ。ということで、今回は、日本とクリスマスの関係トリビアです。
●戦国時代、キリシタンの武士達はクリスマス休戦をした。
永禄11年(1567年)、織田信長と松永久秀の陣営が堺の近くでいくさをしていたが、堺の教会にいたイエズス会司祭ルイス・フロリスが、クリスマスに両陣営のキリシタン武士約70名を招いて、教会向かいの民家の広間でクリスマスの祝いを行った。敵味方のキリシタン武士は、参会した信者と共に懺悔し、ミサを行った後互いに料理を持ち寄り、ご馳走を食べたと伝えられている。和気あいあいと過ごした後、クリスマスの翌日に再び戦いの地に戻っていった。アメリカにも似たような話がありますよね。
●日本で最初に発刊されたサンタクロースの名前は「三田九郎」。
明治31年(1897年)、進藤信義が日曜学校の子供向き教材として『さんたくろう』という本を教文館より刊行した。あらすじは「笠地蔵」のようなもので、サンタクロースが北国の老爺三田九郎と言う日本名で登場する。この本の扉絵には、ロバを従え、クリスマスツリーを持ったサンタクロースが描かれていた。
●俳句の季語で、外来語のカタカナ季語の第1号は「クリスマス」。
明治29年(1896年)正岡子規が句集『寒山落木』の中で、初めて外来語の季語を用いた。八人の 子供むつまじ クリスマス。その後も子規は、クリスマスを題材にした句を数多く発表している。
●日本はクリスマス用品生産国世界1位だった時期がある。
明治30年(1897年)、外国人居留地でクリスマスの飾りが多く使われる中、神戸在住の外国人が日本で昔から使用されていた経木がクリスマス・ツリーの代用品になると考え、イミテーションのクリスマスツリーの生産が本格的に始まり、輸出されたのが日本のクリスマス用品生産の始まり。その後、クリスマス用品の生産国として誇っていたドイツが第1次世界大戦で混乱している中、大正5年(1916年)に日本製クラッカーが発売開始。また、アメリカからの発注が本格化し、量産できるようになり、クリスマス用品は重要な輸出産業に発展していった。
●『君が代』のルーツは、賛美歌である。
明治15年(1882年)に出版された、『小学唱歌』に「君が代」が登場します。この唱歌として歌われた「君が代」は現在の「君が代」とは、曲も歌詞も全く違っていた。
古い「君が代」は、ルーサー・メーソン編集の『メーソン編賛美歌と歌曲 The Mason'Hymu and Tune Book 1880』の84番『WEBER』という、S・ウェーバーが作曲した曲が原曲とされている。但し、1881年にロンドンで発行された讃美歌集『The Belieuers Hymu Book』には、全く同じ歌がジェーン・クルードソン作詞、アイラ・サンキー作曲の曲として収録されているそうだ。
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帆摘
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自己紹介:
92年に渡米。テネシー、テキサス、ノースカロライナに住む。今はコロラドに住んでます。ちとドライだけどいい所です。スポーツ好きと山好きには最高の場所らしい。今年の夏はキャンプと魚釣りがしたい!と意気込んでいる今日この頃。その前にしっかり基礎体力付けろと旦那に言われてますが・・・T_T
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